講評会

By , 2013年11月1日 (金) 11:09:06

この大学に来てもうだいぶ長いのだが、確かに、講評会というものを授業の最終日にやるのは重要な気がしてきた。

学生から集めた課題を教員が勝手に採点して成績を評価する。 ふつう芸術学部以外のところではそうしている。 たとえば実験のレポート課題などはそうするしかないだろう。

課題を複数の教員が見て審査した方が、授業の担当教員が一人で評価するより良いのは当たり前だ。 卒業論文などはさすがにどこの大学でも副査をつけてやると思うが、それはそれだけ他の評価より重要だから、 それだけの手間をかけるということであり、 普通の授業ではそんなてまひまかけてらんないと思う。

また、教員が評価するだけでなくその講評を学生に伝えてやったほうが良いに決まっている。

さらには、教員ばかりが評価するのではなく、学生どうし課題を評価し合って、 あああの人の課題はよくできてるなとか、自分の課題はこのへんが足りなかったなとか、 学生自身に自覚させたほうがよいのは明らかだ。 教員が一方的に授業してもほとんどの学生は自分のどこがいけないのか理解できない。 だけど、他人の課題を見れば歴然とわかるのだ。 教育効果がまるで違う。 授業でいくら高度な内容をやっても学生が理解できなければ意味は無い。 ある程度内容を薄くしてでも、きちんと時間を割いて、学生どうしで評価させた方が、到達度がはるかに高いのだ。 後は、興味を持った学生は自分で学べば良い。 芸術学部ではその傾向が特に強い。 芸術学部の一、二年次の専門科目は極論すればオムニバス授業と体験授業だけだ。 知識をできるだけ大量に流し込んで試験で到達度を評価する(到達してなければ落とす)という形の授業ではない。

私の知らない世界でアレだが、たとえば、日本の中世における荘園の成立過程について一万字でまとめよ、 というような、文学部的なレポート課題が出たとしても、やはり学生どうしで読みあい批評しあったほうが、 教員が一人で読んで講評してやるよりはずっと良いと思う。 問題はその時間と手間が膨大にかかる、ということだろう。 というか普通はそういうことを卒研指導と言っているのではなかろうか。

講評会は、10人くらいのゼミなら不可能ではないかもしれない。 大学院の輪講のように、ゼミ生が30人くらいいても、 毎回5人ずつプレゼンして一ヶ月くらいで一周する、という形なら全然問題ない。 そうではなく芸術学部では大勢で一日に一度にやるのだ。 私にはただお祭り騒ぎをしているようにしか思えない。 芸術学部では、学生が非常に少なかった太古の大学の記憶が残っていて、あのような講評会というものを、 未だに続けているのではなかろうか。 工学部ではとっくの昔に廃れてしまっただろう。 学生数がやたらと多い文学部ではなおさらだろう。

ゼミナール(少人数の専門コース)と、それ以外のレクチャー(一斉授業)が、 芸術学部では特に未分化だ。 ゼミナールはせいぜい30人くらいまでだと思う。 それもかなりやり方を工夫した上で、かつ、参加する学生の意識も高い場合に限る。 右も左もわからぬ新入生がやるべきではない。 個人レッスン == ゼミである音楽学部ではまた全然話は違うと思う。

芸術学部では、往々にして、100人くらいの定員の学科で、10人くらいの教員が、 丸一日かかってそれをやろうとする。 それはどうにも私には耐えがたい。 そこまでしてやることかと思えてしまう。 やるとして方法が間違ってると思う。

50人の授業できちんと講評会をやるには3時間はかかると思う。 講義科目では不可能だと思う。最終授業だけ2倍の時間をかけることも時間割上できない。 階段教室でやるような、200人300人規模の講義では絶対できない。

講評会に、門外漢の教員の意見も聞きたいというのはよくわかる。 特にアート系、デザイン系の制作課題の場合。 理系のセンスで良いかどうか判断してもらいたい、と思うのだろう。 デザインというのは老若男女日本人外国人、いろんな種類の人に評価してもらったほうがより完全な講評となる。 しかし正直、平面構成とか立体造形の講評をさせられるのは苦痛以外の何物でも無い。 ナンダコレとしかいいようがないのだが正直に言うわけにもいかない。拷問に近い。 発泡スチロールの玉に針金挿したようなやつをどう評価すれば良いのか。 私には不可能だ。

一日中そんなことに時間を拘束されたくない。

学科全体で講評会をやろうとかそういう話になるのはたぶん芸術学部の伝統なのだろう。 芸術学部を卒業して芸術学部の教員となった人は自分が受けた教育手法が空気のように当たり前だから、 その手法に疑問を持つことがない。 かなり苦痛だ。

さらに問題なのは、 私が担当する授業、3DCG制作などだが、こういうのは特に素人の意見というものを必要とはしていない。 こういう課題に対してこう作りましたという技術面のことだけ講評すればいいので、 学科の全教員が集まって講評されても困るわけである。 むしろ迷惑でもある。

この大学に来たときからずっとそう思っていたが、 もう十年以上いるからブログに書いても別にどうでもよかろうと思うから書く。

芸術学部というのは定員が少ないところが多いのではないか。 1学科30人とか。 あるいは学科の中がコースに分かれているとか。 そういうところで学科総出で講評会をやるというならやればよろしい。 また、一つの学科でやることが極めて狭い範囲に絞られていて教員の専門性も一つの分野に限られているならやればよろしい。 そうではなく、定員も多いし教員の専門性もばらばらなのに学科全体でやるってのは、 まあ、お願いですから勘弁してください、としか言いようがない。

大学院には学科の境界がないからよけいに混沌としている。 ゲームの作品にふだんゲームなどまったくやらない、ゲームになんの関心も無い教員がコメントすることになる。 その逆もまた。 的外れならまだしも、かなり失礼なことを言う場合がある。 私は決してそれが学際的で良いとは思ってない。 私以外の人は、分野ごとにどれほどカリキュラムや指導方法や思想や文化が異なっているか、ということに、 無関心すぎる、そんなふうにいつも感じる。 統一理論などないのだ。 指導教員の方針に従ってそのような作品を作りプレゼンをしているのだから、学生批判ではなくて教員批判になってしまう。 そんなことはしたくない。

もちろん他領域の副査を任されて、自分の勉強になったことも多々ある。 私は岡田敦君や本城直季君の副査をやったが、なるほどさすがに写真の大学のことはある、非常に良い経験をさせてもらった、と思っている。 しかし皆がみなそのレベルに達しているのではない。

あと、話は変わるが、学科全体で謝恩会とかやるのも勘弁してもらいたい。 私は毎年きっぱりお断りしている。 映像プロダクションなどに就職するひとが多いせいかもしれないが、 テレビのバラエティ番組のような盛り上げ方をしようとする。 そういうバラエティ番組的なノリが嫌いな私にとっては苦痛でしかない。 披露宴でやりたくもないビンゴゲームとか花束贈呈とかをやらされるようなもの、と思ってもらえばいい。 まっぴらごめんだ。 テレビの影響でああいうことで場を盛り上げるのがオモテナシだ社交だと勘違いしている人が多い。 困ったものである。

学科全員の学生の顔など知らないし。 ゼミで謝恩会やるというならありがたく出席させていただく。 最近は学生があまり酒を飲まないのでOB会のようなことばかりやることになる。

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