Category: 詩歌

服部南郭

comments 服部南郭 はコメントを受け付けていません。
By , 2015年7月10日 (金) 13:54:40

「夜下墨江」服部南郭

金龍山畔江月浮
江揺月湧金龍流
扁舟不住天如水
両岸秋風下二州

夜、隅田川を下る。

金龍山浅草寺のほとり、川に月が浮かぶ。

川は揺れ、月は沸き、金の龍が流れる。

小舟は留まらず、天は水のようだ。

両岸に秋風が吹く、武蔵と下総の二州の間を下る。

服部南郭はもとは京都の商人の息子。 それにしてはずいぶん江戸を気にいったようだ。 隅田川に金の龍が流れるとはよくもぬけぬけと言ったものである。 父の死後、江戸に赴き、荻生徂徠の弟子となる。

押韻はしているが、平仄が少しおかしい。 いわゆる、二四不同、二六対にはなっていない。 結句の「両●岸●秋○風○下●二●州○」は良く整っているのだが。

有名なのはこの詩だけのようだ。

元田永孚の漢詩

comments 元田永孚の漢詩 はコメントを受け付けていません。
By , 2013年3月20日 (水) 09:30:42

元田永孚 中庸。 一応、承句と結句は押韻しているが、平仄はわりといい加減。 「去」がよくわからん。「さる」ではなく「ゆく」と読ませるようだ。 彼の作の中では詩吟などで好まれて、一番有名なようだが、そうとう若い頃の詩ではなかろうか。 幕末?

靄然聖意 こちらは押韻も平仄も割とちゃんとしているぞ。 明治10年、60歳くらいの頃の作。 この頃彼が起草した文章に教学聖旨 がある。だいたい同じような内容。

輓近専ラ智識才芸ノミヲ尚トヒ、文明開化ノ末ニ馳セ、品行ヲ破リ、風俗ヲ傷フ者少ナカラス

其流弊仁義忠孝ヲ後ニシ、徒ニ洋風是競フニ於テハ、将来ノ恐ルヽ所、終ニ君臣父子ノ大義ヲ知ラサルニ至ランモ測ル可カラス

専ラ仁義忠孝ヲ明カニシ、道徳ノ学ハ孔子ヲ主トシテ

こんなこと言ったらそりゃあ伊藤博文も怒るわな。

「教育勅語」が発布された明治23年には元田永孚は72歳というかなりの高齢であって、しかも最晩年であって、彼の意見が反映されていないとは言えないかもしれんが、あまり関係ない気がする。

母在森

comments 母在森 はコメントを受け付けていません。
By , 2012年11月17日 (土) 07:16:48

ふと、日本人が作ったと思われる漢詩 が気になったのだが、 難しくないから読めばわかると思うがお寺さん関係の詩である。 中国語の文法的にも特に問題はないように思われる。「旅立」というのは「旅立ちの里」という施設名を詠み込んでいるのだから漢語的にはどうかと思うが許容範囲だと思うし、 「母在森」を「母在(い)ます森」と訓読させていたりして面白い。 たぶんそれなりに漢詩や中国語の勉強をした人だと思う。 平仄はやや乱調かと思うが、ちゃんと押韻しているし、全体としてうまくまとまっているからこれはこれでありだと思った。 おそらく仏教系の大学や学部ではきちんと中国語や漢詩を学ぶのではなかろうか。

法事でお経を聞いていると、漢文あり、和讃あり、鳴り物ありでなかなか面白い。 まじめなところでは漢文素読、ややくだけて和讃、たまにドラや木魚やパフォーマンスで盛り上げる。 特に楽曲と合わせた和讃などはまるで平曲、つまり平家物語の弾き語りのようだが、鎌倉仏教の起源と平家物語の成立はだいたい同じなわけだから、 今でいえばアメリカのゴスペルみたいなもんなのだろうなあと。 こういうのも仏教系の大学に行けばきちんと基礎から学べて面白いのだろうなと思った。

題中野坂上新学舎

comments 題中野坂上新学舎 はコメントを受け付けていません。
By , 2012年10月17日 (水) 10:01:59

少し直した。 漢詩いじってると時間がどんどん経つ。ヒマつぶしにはちょうど良いかもしれん。

「王府城」がちとおおげさかな。承句だけがいまいち決まらない。

厚木と中野の大きな違いは、中野で時間が余ったら新宿まででかけてヨドバシやビックカメラでゆっくり買い物ができる、ということ。 厚木ではそういう時間の使い方は絶対無理だ。 どっちが良いとは言えないが、中野にいる以上はそのメリットを最大限に活かさねばなと思う。

新宿から中野キャンパスまで歩いて30分。 丸ノ内線を使えば約20分、正味だと15分くらいか。 なのでまあ、歩いても時間は大差ないので運動がてら歩くのが良いかもしれない。

西遊記冒頭詩

comments 西遊記冒頭詩 はコメントを受け付けていません。
By , 2012年8月8日 (水) 03:06:34

西遊記冒頭詩

押韻、平仄ともにきちんとしている。

        混■沌■未■分□天□地■亂■
        茫□茫□渺■渺■無□人□見■◎
自■從□盤□古■破■鴻□濛□ 開□闢■從□茲□清□濁■辨■◎
覆■載■群□生□仰■至■仁□ 發■明□萬■物■皆□成□善■◎
       欲■知□造■化■會■元□功□
       須□看■西□遊□釋■厄■傳■◎

まあ、パズルみたいなもんだわな。 ていうか、パズル的要素以外のものがあると俺らネイティブじゃないから作れません、ってことになる。 規則さえ守れば良いというのであれば俺らにも作れる。

四聯八句。 聯の中では反法。 聯の後の句と次の聯の前の句は粘法。 押韻は偶数句。 面白いなあ。

七言律詩。まだ作ったことなかったよな、たぶん。

推敲

comments 推敲 はコメントを受け付けていません。
By , 2012年8月7日 (火) 20:41:15

「凝」はもともと氷が固まることを言い、「凝然」はじっとしているさま、というので、 家屋凝では家がたくさん密集していることにはならん。 ので少し手直しした。 蒸と庚と青は通韻なのを利用。

高楼巨塔、層々として聳ゆ。 殷富なり、洛西の中野町。 竣工を待ち得たり、新校舎。 神田水上、学生の灯。

うーんどうかなあ。地名を入れるとわかりやすくなるが、なんだか校歌ぽい(笑)。

もう少し直接研究とは関係ないことをやってみよう。 そしたらそのうち研究がやりたくなるに違いない。

ていうか facebook は写真を差し替えることさえできない。 そういうこまかな編集とかいっさいできない。 写真ぱっととってぱっと載せて適当になんか書く、感じ。 やっぱブログはなんでも自分で決められるから楽だわ。

題中野坂上新学舎

comments 題中野坂上新学舎 はコメントを受け付けていません。
By , 2012年8月7日 (火) 01:02:53

なんか漢詩読んでると自分でも作りたくなったので作った。

題中野坂上新学舎

高楼巨塔聳層層
新宿西郊家屋凝
得待竣工新校舎
神田水上学生灯

わりと簡単なので原文で読んで欲しいのだが、

高楼、巨塔、層層として聳え、
新宿西郊、家屋、凝たり。
竣工を待ち得たり、新校舎。
神田水上、学生の灯り。

新宿の西の辺りには、高い建物や大きな塔が聳え、家屋が密集している。
やっと新校舎が完成した。
神田川の畔には学生の灯りがともっている。

てな感じ。

「新」を二回使っているのが気にくわないが、 「新宿」は固有名詞だから仕方ないだろ。

張雨 湖州竹枝詞

comments 張雨 湖州竹枝詞 はコメントを受け付けていません。
By , 2012年8月6日 (月) 22:08:46

張雨 湖州竹枝詞

臨湖門の外が私の家だ / あなた、もし閑なときには来てお茶をお飲みなさい / 黄土で垣根を築き茅で屋根を覆い、/ 門前には紫荊花が一本植えてある。

なんということはないが、しみじみ良い詩だ。

柳宗元 江雪

comments 柳宗元 江雪 はコメントを受け付けていません。
By , 2012年8月6日 (月) 21:47:55

夏休みに突入したのでまったりと漢詩など。

柳宗元 江雪

「飛」はいわゆる挟み平という例外規則だろう。とすれば平仄は完璧。 仄で韻を踏んでいるのも、この時代では珍しいのだろう。

「千山鳥飛絶」と「萬徑人蹤滅」が一字ずつ対になっている。 「千山」と「万径」、「鳥」と「人」、「飛」と「蹤」、「絶」と「滅」。 なかなかこうはいかない。

春日

comments 春日 はコメントを受け付けていません。
By , 2012年4月9日 (月) 09:54:40

たまには七言絶句でも作ろうかと空き時間に、 春日

長閑独歩落花行  長閑、独り落花を歩み行けば、 
暖気満光新緑生  暖気、光満ちて、新緑生ず
雖是吾尤好季節  是吾が尤も好む季節といえども
事成煩瑣愈無精  事煩瑣と成りていよいよ無精

「いよいよ無精」とか言ってる場合なのか新学期。 和歌と漢詩を比べると、和歌はもう、感覚だけで作る感じ。 漢詩はパズルに近い。 パズルのピースをいろんな種類(熟語とか成句とか)持っていればわりと簡単なのではないか。 和歌にはそのピースに当たるものがない。 脳の中にあるまったく形のないものをえいやと気合いで言語化するしかない。 いわば、シャーマニズムにおける憑依霊媒、或いは芥川龍之介が言うところの三昧境に近い。

俳句は逆にパズルに近いかもしれん。

研究で言えば理論系と実験系みたいな。

桜芽下作

comments 桜芽下作 はコメントを受け付けていません。
By , 2012年4月7日 (土) 19:40:22

一応、春なので桜芽下作

萌芽映幼枝  萌芽、幼枝に映じ、
酔漢訪花時  酔漢、花を訪ねる時。
露酒風餐宴  露酒風餐の宴、
応招一美姫  まさに一美姫を招くべし。

ええっとこれは実は実景ではなくて想像の景色なのだが、 「映」は 杜牧「千里鶯啼緑映紅」とか王維「鰲身映天黑」のように使う。 つまり、色の対比が鮮やかというような意味だろう。 「露酒風餐」とは「風餐露宿」というのから来ている。

「酔士」と「酔漢」で迷ったが、 酔っぱらいのオッサンがきれいな姉ちゃんいないかなあとふらついている感じを出したかったので、 結局「酔漢」とした。 美女と野獣じゃないが、酔漢と美姫の対比ということで。 「酔士」だとやにきどってるし、 今時「士」は男性とは限らないし。

どちらかと言えば花の下でまさに酒宴を開いているときというよりも、花が咲きかけてきたので、 どんな宴会にしようかなと考えている飲んべえ親父の心境を歌ったもの。

陸奥宗光の詩

comments 陸奥宗光の詩 はコメントを受け付けていません。
By , 2012年4月6日 (金) 17:50:14

陸奥宗光が十五才の時に作った詩らしいのだが、すごくよくできているな。 敢えてけちをつけると「吟」が孤平だということくらいか。

乃木希典の金州城下作よりも面白い。ただし、形式は乃木希典のほうが整っているが。 整っていると言う意味では、これに過ぎるものは無いかも知れん。

他にはないのかな。 十五才でこれだけ作れれば、生涯ではもっと作ってるはずだが。 案外、十五才の時のことを壊走して詠んだものかもしれん。

斗南先生

comments 斗南先生 はコメントを受け付けていません。
By , 2012年4月5日 (木) 14:26:45

中島敦の比較的初期の作品で「斗南先生」というのがある。 斗南先生とは中島敦の叔父中島端のことで、この作品の中に出てくる漢詩もその叔父が作ったというものだ。

冒頭の詩は読み下し文から復元すると次のようになる。 雲海蒼茫佐渡洲。 やはり押韻はきちんとしているが平仄は完全とは言えない。

毎我出門挽吾衣。 これも悪くないが、平仄はかなりいい加減だし、「我」「吾」などわざと同じ意味の言葉を字だけ使い分けてたり、同じ字の反復が目立つ。

七言絶句なのに初句が押韻してない、いわゆる踏み落としだが、「微」と「支」は通韻なので、これはありか。 ていうか通韻珍しい。滅多にないよ。通韻いちいち調べるの面倒なので書いておく。

東冬江
支微斉佳灰
魚虞
真文元寒刪
先
粛肴豪
歌麻
陽
庚青蒸
尤
侵覃塩咸

今度使ってみようかな。

和歌も出てくる。幕末維新の武士みたいな歌だ。 ついでだから書いておく。

吾(あ)が屍(かばね) 野にな埋みそ 黒潮の 逆巻く海の 底へなげうて

さかまたは ををしきものか 熊野浦 寄り来るいさな 討ちてしやまむ

中島敦の漢詩なり和歌は、少なくとも漢詩は親類の影響を受けたものだろうと思われる。 あまり平仄はやかましく言わない流派なのだろうと思う。 「吾が屍」の歌は町田四郎左衛門という志士の詠んだ歌

我死なば 焼きて埋めよ 野に捨てば 痩せたる犬の 腹を肥やさむ

に似ている。これはもともと小野小町の辞世(もちろん後世の偽作)

吾れ死なば 焼くな埋むな 野に晒せ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ

を本歌とするのだろう。

中島敦の漢詩

comments 中島敦の漢詩 はコメントを受け付けていません。
By , 2012年4月3日 (火) 09:28:51

そういえば中島敦は漢詩を書いてたなと思い、今更ながら調べてみる。 まずは、「山月記」に出てくる詩 偶因狂疾成殊類だが、これは中島敦の作ではないらしい。 「四庫全書」に「人虎傳」というのがあって、そこにそのまま載っている。長いがそのまま引用する(原文は古典小说之家’s Archiver西陆网などにある)。

隴西李微皇族子家于虢略微少博學善屬文弱冠從州府貢焉時號名士天寶十五載春於尚書右丞楊門下登進士第後數年調選補尉江南微性疎逸恃才倨傲不能屈跡卑僚嘗鬱鬱不樂毎同舍會既酣顧謂其羣官曰生乃與君等為伍邪其僚友咸側目之及謝秩則退歸閒適不與人通者近歲餘後迫以食且缺乃東遊吳楚間期歛于郡國長吏楚人聞其聲固久矣及至皆開館以俟之畱宴遊極歡將去悉厚賄以實其囊槖微在吳楚且周歲所獲饋遺甚多西歸虢略未至舎於汝墳逆旅中忽被疾發狂鞭捶僕者不勝其苦如是旬餘疾益甚無何夜狂走莫知其適家僮跡其去而伺之盡一月而微竟不囘於是僕者驅其乘馬挈其囊槖而逺遁去至明年陳郡李儼以監察御史奉詔使嶺南乘傳至商於界晨將去其驛吏白曰道有虎暴而食人故途於此者非晝莫敢進今尚早願且駐車固不可前儼怒曰我天子使後騎極多山澤之獸能為害邪遂命駕而行去未盡一里果有虎自草中突而出儼驚甚俄而虎匿身草中人聲而言曰異乎哉幾傷我故人也儼聆其音似李微者儼昔與微同登進士第分極深别有年矣忽聞其語既驚且異而莫測焉遂問曰子為誰豈非故人隴西子乎虎呼吟數聲若嗟泣之狀已而謂儼曰我李微也儼乃下馬曰君何由至此且儼始與君同場屋十餘年情好歡甚愈於他友不意吾先登仕路君亦繼捷科選睽間言笑厯時頗久傾風結想如渴待飲幸因出使得此遇君而乃自匿草中豈故人疇昔之意也虎曰吾已為異類使君見吾形則且畏怖而惡之矣何暇疇昔之念邪雖然君無遽去得少盡欵曲乃我之幸也儼曰我素以兄事故人願展拜禮乃再拜虎曰我自與足下别音容曠阻且久矣僕夫得無恙乎宦途不致淹畱乎今又何適向者見君有二吏驅而前驛隷挈印囊以導庸非為御史而出使乎儼曰近者幸得備御史之列今奉使嶺南虎曰君子以文學立身位登朝序可謂盛矣況憲臺清要分糾百揆聖明愼擇尤異於人心喜故人居此地甚可賀儼曰往者吾與執事同年成名交契深密異於常友自聲容間阻去日如流想望風儀心目俱斷不意今日獲君念舊之言雖然執事何為不見我而自匿於草莽中故人之分豈當如是邪虎曰我今不為人矣安得見君乎儼曰願詳其事虎曰我前身客吳楚去歲方還道次汝墳忽嬰疾發狂夜聞户外有呼吾名者遂應聲而出走山谷間不覺以左右手攫地而步自是覺心愈狠力愈倍及視其肱髀則有斑毛生焉心甚異之既而臨溪照影已成虎矣悲慟良久然尚不忍攫生物食也既久飢不可忍遂取山中鹿豕獐兔充食又久諸獸皆逺避無所得飢益甚一日有婦人從山下過時正餒迫徘徊數四不能自禁遂取而食殊覺甘美今其首飾猶在巖石之下也自是見冕而乘者徒而行者負而趨者翼而翔者毳而馳者力之所及悉擒而咀之立盡率以為常非不念妻孥思朋友直以行負神祗一旦化為異獸有靦於人故分不見矣嗟夫我與君同年登第交契素厚君今日執天憲耀親友而我匿身林藪永謝人世躍而呼天俛而泣地身毁不用是果命乎因呼吟咨嗟殆不自勝遂泣儼且問曰君今既為異類何尚能人言邪虎曰我今形變而心甚悟耳自居此地不知歲月多少但見草木榮枯耳近日絶無過客久飢難堪不幸唐突故人慙惶殊甚儼曰君久飢某有餘馬一疋畱以為贈如何虎曰食吾故人之駿乘何異傷吾故人乎願無及此儼曰食籃中有羊肉數斤畱以為贈可乎曰吾方與故人道舊未暇食也君去則畱之又曰我與君眞忘形之友也而我將有所託其可乎儼曰平昔故人安有不可哉恨未知何如事願盡教之虎曰君不許我我何敢言今既許我豈我望邪初我於逆旅中為疾發狂既入荒山而僕者驅我乘馬衣囊悉逃去吾妻孥尚在號怨豈知我化為異類乎君自南囘為齎書訪吾妻子但云我已死無言今日事志之乃曰吾於人世且無資業有子尚稚固難自謀君位列周行素秉風義昔日之分豈他人能右哉必望念其孤弱時賑其乏無使殍死於道途亦恩之大者言已又悲泣儼亦泣曰儼與足下休戚同焉然則足下子亦儼子也當力副厚命又何虞其不至哉虎曰我有舊文數十篇未行於代雖有遺藁當盡散落君為我傳錄誠不能列文人之戸閾然亦貴傳於子孫也儼即呼僕命筆隨其口書近二十章文甚高理甚逺閲而歎者至于再三虎曰此吾平生之業也又安得寢而不傳歟既又曰吾欲為詩一篇蓋欲表吾外雖異而中無所異亦欲以道吾懷而攄吾憤也儼復命吏以筆授之詩曰偶因狂疾成殊類災患相仍不可逃今日爪牙誰敢敵當時聲跡共相高我為異物蓬茅下君已乘軺氣勢豪此夕溪山對明月不成長嘯但成嘷儼覽之驚曰君之才行我知之久矣而君至於此者君平生得無有自恨乎虎曰二儀造物固無親疎厚薄之間若其所遇之時所遭之數吾又不知也噫顏子之不幸伯牛斯疾尼父常深歎之矣若反求其所自恨則吾亦有之矣不知定因此乎吾遇故人則無所自匿也吾嘗記之於南陽郊外嘗私一孀婦其家竊知之常有害我心孀婦由是不得再合吾因乘風縱火一家數人盡焚殺之而去此為恨爾又曰使回日幸取道他郡無再遊此途吾今日尚悟一日都醉則君過此吾亦不省將碎足下於齒牙間終成士林之笑焉此吾之切祝也君前去百餘步上小山下視盡見此將令君見我焉非欲矜勇令君見而不復再過此則知吾待故人之不薄也復曰君還都見吾友人妻子愼無言今日之事吾恐久畱使斾稽滯王程願與子訣叙别甚久儼乃再拜上馬回視草茅中悲泣所不忍聞儼亦大慟行數里登嶺再視則虎自林中躍出咆哮巖谷皆震後回自南中乃取他道不復由此遣使持書及賵贈之禮計於微子月餘微子自虢略入京詣儼求先人之柩儼不得已具疏其事遂以己俸均給微妻子免飢凍焉儼後官至兵部侍郎

押韻も平仄もきちんとしている。 七言律詩なので、対句もちゃんとしている。「今日」と「当時」、「我」と「君」など。 きまじめな印象。 ただ、「成」という字が多すぎる。

筑摩書房「中島敦全集 1」の「漢詩」冒頭。

習習東風夜淡晴。 悪くない。押韻も対句も平仄もほぼ完璧。 わざわざ文句をつける気はないが、なんかくどい。テーマパークみたいな出来過ぎ感がある。 七言律詩は長いからね。 春の夜の情景を詠みたかったのだろうけど、ただああ美しいなあというだけだよね。 それから、ふつうは「東風習習」ではなかろうか。 風が蕭蕭とか習習とか、声が細細とか、雨や花が紛紛とか、夜が沈沈とか、 なんか幼稚(?)な感じで使う気になれない(とか言いながら自分も滴滴聴晨響などとやっている)。 まあ、好みの問題なんだろうけど。 おそらく、処女作か詠草のたぐいではなかろうか。

攻文二十年 わかりやすく、面白い、押韻もちゃんとしてるが、平仄がなんだか変だ。

北辰何太廻。 これも平仄が変だ。 わざとやってるのか。 五言絶句にこういう平仄もあるのだろうか。 内容は面白い。「北辰何太廻」北極星の周りを星が回っている。 (それに比べて)「人事固堪嗤」人間のことなどそもそも取るに足らない。 「莫嘆無知己」自分を知る人がいないからと嘆くな。 「瞻星欲自怡」星を見て一人で楽しんでいよう。

日曜所見。 日曜林の中で青い目の女の子が犬を連れて散歩してたという、たわいない詩。平仄は適当。

戯作。 友人らと本牧の花街を通りすぎたら昼間は閑散としていて化粧っ気のない女たちが却って愛嬌がある。 横目で見て通り過ぎる客を恨んでいる。財布も胸の内もさむざむしい、というやはりたわいない話。 これも平仄はかなりいいかげん。

うーむ。中島敦ですら平仄はあまり気にしなかったようだが、ただ、平だけ仄だけ連続するとか、或いは平もしくは仄が孤立するというようなのは避けているような気がする。そんな風な指導があったのだろうか。

押韻と平仄

comments 押韻と平仄 はコメントを受け付けていません。
By , 2012年3月26日 (月) 09:44:34

普通は「平」で押韻するものなので、「平」の種類だけまずは覚えればよい。 「平」にも字が多く含まれるグループと少ないグループがある。 上平声だと「支」「虞」、下平声だと「先」「蕭」「陽」「尤」など。 選択肢が多い方が押韻しやすくなる。

たとえば「先」には千、天、煙、田、年、禅、眠、然、川、伝、辺、遷などが含まれていてわりと押韻しやすい。 日本語の読みの類推もしやすい。 永井荷風の詩書剣十年唯自憐もその一例だ。

「東」は日本語読みの直観が、それほどききやすくない。 音は -ung なので、「東」はトゥン、「中」はチュン、「空」はクン、などと発音したのだろう。

さほど多く無いが「歌」などは日本人でも直観的にわかりやすい。 歌、多、河、戈、阿、和、波、科、他など「ア」の音で押韻してる。 平声は現代普通話の第一声と第二声で、高いか、おしりが高いかだから、要するに、 イントネーションで言えば高い音なわけで、 「歌」のグループはつまり高い「ア」だと思えばよい。 仄声は、低いか下がるかなわけだ。

で、唐代の詩などで押韻の例を調べて、それを真似るとさらに簡単になる。 一句まるごと借りてくると、そこにはすでに平仄が決まっている(平仄平か仄平仄か)から、 残りの三句の平仄も粘法反法に従って自動的に確定する。 割と便利だ。

平仄を合わせるのは、とりあえず、「平」の字の主なものを丸暗記すると良いだろう。 それ以外は「仄」なのだから。 平仄を暗記するのは、中国語を学ぶのにも役に立つ。無駄にはならない。 ある程度平仄を覚えておいた方が、漢詩を作るのには便利だ。 まったく知らずにやるよりはるかに良い。

Panorama Theme by Themocracy