腰越状

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平家物語十一「腰越」

金洗沢に関据ゑて大臣殿父子受け取り奉つてそれより判官をば腰越へ追ひ返さる。 判官「こはされば何事ぞや。 去年の春、木曾義仲を追討せしより以来、今年の春、平家を滅ぼし果てて、内侍所・璽の御箱、事故なう宮尾へ還し入れ奉り、剰へ大将軍父子生捕にしてこれまで下りたらんずるには、たとひいかなる不思議ありとも、一度はなどか対面なからん。 凡そ九国の惣追捕使にも補せられ、山陰山陽南海道いづれなりとも預けられ、一方の御固めにも成されんずるかとこそ思ひたれば、 僅かに伊予国ばかり知行すべき由宣ひて、鎌倉中へだにも入れられずして、追ひ上せらるる事こは何事ぞや。 日本国中を鎮むる事は、義仲義経が為業にあらずや。 たとへば同じ父が子にて、先に生るるを兄とし後、に生るるを弟とするばかりなり。 天下を知らんに、誰かは知らざらん。 剰へ見参をだに遂げずして追ひ上せらるる事、謝するところを知らず」 と呟かれけれどもかひぞなき。 判官漸うに陳じ申されけれども、景時が讒言の上は鎌倉殿用ひ給はず。 判官泣く泣く一通の状を書いて、広元の許へ遣はさる。

源義経乍恐申上候意趣被選御代官其一為勅宣御使平朝敵雪会稽恥辱。 可被行勲賞処思外依虎口讒言被黙莫大勲功。 義経無犯而蒙科。 雖有功而無謬蒙御勘気間空沈紅涙。 不被正讒者実否不被入鎌倉中間不能述素意徒送数日。 当此時永不奉拝恩顔。 骨肉同胞義已絶宿運極似空乎。 将亦感先世業因乎。 悲哉。 此条故亡父尊霊不再誕誰人申被愚意悲嘆。 何人垂哀憐乎。 事新申状雖似述懐義経彼身体髪膚受父母不経幾時節故頭殿御他界間、 為孤被抱母懐中、 自赴大和国宇多郡以来未住一日片時安堵思雖存無甲斐命京都経廻難治間隠身在在所所為栖辺土遠国被服仕土民百姓等。 然交契忽純熟為平家一族追討令上洛手合誅戮木曾義仲後為傾平家或時峨峨巌石鞭駿馬為敵不顧亡命。 或時漫漫大海凌風波難不痛沈身於海底懸骸於鯨鯢腮。 加之枕甲冑業弓箭本意併奉休亡魂憤欲遂年来宿望外無他事。 剰義経補任五位尉条当家重職何事若是。 雖然今憂深嘆切也。 自非仏神御助外争達愁訴。 依之以諸神諸社牛王宝印裏全不挿野心旨奉請驚日本国中大小神祇冥道雖書進数通起請文猶以無御宥免。 夫我国神国也神不享非礼。 所憑非他偏仰貴殿広大慈悲窺便宜令達高聞廻秘計被宥無過旨預放免積善余慶及家門栄花永伝子孫。 仍開年来愁眉得一期安寧。 不尽書紙。 併令省略候畢。 義経恐惶謹言 元歴二年六月五日 源義経進上 因幡守殿

とぞ書かれたる。

読み下し文

   源義経恐れながら申し上げ候ふ意趣は、御代官のその一つに選ばれ、勅宣の御使として、朝敵を平らげ、会稽の恥辱を雪ぐ。
   勲賞行はるるべき処に、思ひの外に、虎口の讒言によつて、莫大の勲功を黙せらる。
   義経、犯す事無うして、科を蒙る。
   功有つて、謬り無しといへども、御勘気を蒙るの間、空しく紅涙に沈む。
   讒者の実否を正されず、鎌倉中へだに入れられざる間、素意を述ぶるに能はず、徒ら数日を送る。
   この時に当たつて、永く恩顔を拝し奉らず、骨肉同胞の義既に絶え宿運極めて空しきに似たるか。
   はたまた先世の業因を感ずるか、悲しきかな。
   この条、故亡父尊霊再誕し給はずんば誰の人か愚意の悲嘆を申し被かん。
   いづれの人か哀憐を垂れんや。
   事新しき申し状、述懐に似たりといへども、義経かの身体髪膚を父母に受け、幾ばくの時節を経ずして、故頭殿御他界の間、孤子となつて、母の懐の内に抱かれて、大和国宇多郡に赴きしより以来、一日片時安堵の思ひに住せず。
   かひなき命は存すといへども、京都の経廻難治の間、身を在々所々に隠し、辺土遠国を栖として、土民百姓等に服仕せらる。
   然れども交契忽ちに純熟して、平家の一族追討の為に上洛せしむる手合せに、木曾義仲を誅戮の後、平家を傾けんが為に、或時は峨々たる巌石に駿馬に鞭打つて、敵の為に命を亡ぼさん事を顧みず。
   ある時は漫々たる大海に風波の難を凌ぎ、身を海底に沈めんことを痛まずして、骸を鯨鯢の腮に懸く。
   しかのみならず、甲冑を枕とし、弓箭を業とする本意、併しながら亡魂の憤を休め奉り、年来の宿望を遂げんと欲する外は他事無し。
   剰へ義経五位尉に補任の条、当家の重職、何事かこれに若かん。
   然りといへども今憂へ深く嘆き切なり。
   仏神の御助にあらずより外はいかでか愁訴を達せん。
   これによつて諸神諸社の牛王宝印の裏を以て全く野心を差し挿まざる旨、日本国中の大小の神祇冥道を請じ驚し奉つて、数通の起請文を書き進ずといへども、なほ以て御宥免無し。
   それ我が国は神国なり。神は非礼を受け給ふべからず。
   頼む所、他にあらず。偏に貴殿広大の慈悲を仰ぎ、便宜を伺ひ、高聞に達せしめ、秘計を廻らして、過り無き旨を宥ぜられ、放免に預らば、積善の余慶家門に及び、栄花永く子孫に伝へん。よつて年来の愁眉を開き、一期の安寧を得ん。
   書紙に尽くさず、併しながら省略せしめ候ひ畢んぬ。義経恐惶謹んで申す。

総かな

みなもとよしつねおそれながらまうしあげさふらふいしゆは、おんだいくわんのそのひとつにえらばれ、ちよくせんのおんつかひとして、てうてきをたひらげ、くわいけいのちじよくをすすぐ。くんしやうおこなはるべきところに、おもひのほかにここうのざんげんによつて、ばくたいのくんこうをもだせらる。よしつねをかすことなうしてとがをかうぶる。こうあつてあやまりなしといへども、ごかんきをかうぶるのあひだ、むなしくこうるゐにしづむ。ざんしやのじつぷをただされず、かまくらぢうへだにいれられざるあひだ、そいをのぶるにあたはず。いたづらにすじつをおくる。このときにあたつて、ながくおんがんをはいしたてまつらず。こつにくどうはうのぎすでにたえ、しゆくうんきはめてむなしきににたるか。はたまたぜんぜのごふいんをかんずるか。かなしきかな、このでう、こばうぶそんりやうさいたんしたまはずんば、たれのP303ひとかぐいのひたんをまうしひらかん。いづれのひとかあいれんをたれんや。ことあたらしきまうしでう、じゆつくわいににたりといへども、よしつねしんだいはつぷをふぼにうけ、いくばくのじせつをへずして、こかうのとのごたかいのあひだ、みなしごとなつてははのふところのうちにいだかれて、やまとのくにうだのこほりにおもむきしよりこのかた、いちにちへんしあんどのおもひにぢうせず、かひなきいのちはそんすといへども、きやうとのけいぐわいなんぢのあひだ、みをざいざいしよしよにかくし、へんどゑんごくをすみかとして、どみんひやくしやうらにぶくじせらる。しかれどもかうけいたちまちにじゆんじゆくして、へいけのいちぞくつゐたうのために、しやうらくせしむるてあはせに、まづきそよしなかをちうりくののち、へいけをせめかたぶけんがために、あるときはががたるがんぜきに、しゆんめにむちうつて、かたきのためにいのちをほろぼさんことをかへりみず、あるときはまんまんたるだいかいに、ふうはのなんをしのぎ、みをかいていにしづめんことをいたまずして、かばねをけいげいのあぎとにかく。しかのみならずかつちうをまくらとし、きうせんをげふとするほんい、しかしながらばうこんのいきどほりをやすめたてまつり、ねんらいのしゆくばうをとげんとほつするほかはたじなし。あまつさへよしつねごゐのじようにふにんのでう、たうけのちようじよくなにごとかこれにしかん。しかりといへども、いまうれへふかくなげきせつなり。ぶつしんのおんたすけにあらずよりほかは、いかでかしうそをたつせん。これによつてしよじしよしやのごわうはういんのうらをもつて、まつたくやしんをさしはさまざるむね、につぽんごくちうのだいせうのじんぎみやうだうをしやうじおどろかしたてまつて、すつうのきしやうもんをかきしんずといへども、なほもつてごいうめんなし。それわがくにはしんこくなり。しんはひれいをうけたまふべからず。たのむところたにあらず。ひとへにきでんくわうだいのじひをP304あふぎ、べんぎをうかがひ、かうぶんにたつせしめ、ひけいをめぐらして、あやまりなきむねをいうぜられ、はうめんにあづからば、しやくぜんのよけいかもんにおよび、えいぐわながくしそんにつたへ、よつてねんらいのしうびをひらき、いちごのあんねいをえん。しよしにつくさず。しかしながらせいりやくせしめさふらひをはんぬ。よしつねきようくわうつつしんでまうす。げんりやくにねんろくぐわついつかのひ、みなもとのよしつねしんじやう、いなばのかうのとのへ

義経記

源義経恐れ乍ら申し上げ候ふ意趣は、 御代官の其の一つに撰ばれ、勅宣の御使として朝敵を傾け、会稽の恥辱を雪ぐ。 勲賞行はるべき所に、思ひの外に虎口の讒言に依つて莫大の勲功を黙止せらる。 義経犯す事なうして、咎を蒙り、誤りなしと雖も、功有りて御勘気を蒙るの間、空しく紅涙に沈む。 讒者の実否を糾されず、鎌倉中へだに入れられざる間、素意を述ぶるに能はず。 徒らに数日を送る。 此の時に当たつて永く恩顔を拝し奉らず、骨肉同胞の儀既に絶え、宿運極めて空しきに似たるか、将又先世の業因を感ずるか。 悲しき哉、此の条、故亡父尊霊再誕し給はずむば、誰の人か愚意の悲嘆を申し披かん、何れの人か哀憐を垂れんや。 事新しき申状、述懐に似たりと雖も、義経身体髪膚を父母に受け、幾の時節を経ずして、故頭殿御他界の間、孤子となつて、母の懐の中に抱かれて、大和国宇陀郡に赴きしより以来、一日片時も安堵の思ひに住せず、甲斐無き命は存ずと雖も、京都の経廻難治の間、身を在々所々に隠し、辺土遠国を栖として、土民百姓等に服仕せらる。 然れども幸慶忽ちに純熟して、平家の一族追討の為に上洛せしむる。 先づ木曾義仲を誅戮の後平家を攻め傾けんが為に、或る時は峨々たる巌石に駿馬に策つて、敵の為に命を亡ぼさん事を顧みず。 或る時は漫々たる大海に風波の難を凌ぎ、身を海底に沈めん事を痛まずして、屍を鯨鯢の腮に懸く。 加之甲冑を枕とし、弓箭を業とする本意、併ら亡魂の憤を休め奉り、年来の宿望を遂げんと欲する外は他事なし。 剰へ義経五位尉に補任の条、当家の重職、何事か是に如かん。 然りと雖も今の愁深く歎切なり。 仏神の御助に非ずは、争か愁訴を達せん。 是に因つて、諸寺諸社の牛王宝印の御裏を以て全く野心を挿まざる旨、日本国中の大小の神祇冥道を請じ、驚かし奉つて、数通の起請文を書き進ずと雖も、猶以て御宥免なし。 夫我が国は神国なり。 神は非礼を享け給ふべからず。 憑む所他に有らず。 偏へに貴殿広大の御慈悲を仰ぎ、便宜を伺ひ高聞に達せしめ、秘計を廻らして、誤無き旨を宥ぜられ、芳免に預からば、積善の余慶家門に及び、栄華を永く子孫に伝へ、仍つて年来の愁眉を開き、一期の安寧を得ん。書紙に尽くさず、併ら省略せしめ候ひ畢んぬ。義経恐惶謹言。 元暦二年六月五日源義経進上因幡守殿へ


吾妻鏡 元暦二年・五月二十四日

廿四日 戊午 源廷尉〈義經〉、如思平朝敵訖。剰相具前内府、參上。 其賞兼不疑之處、日來依有不儀之聞、忽蒙御氣色、不被入鎌倉中、於腰越驛、徒渉日之間、愁欝之餘、付因播前司廣元、奉一通款状。 廣元、雖披覽之。 敢無分明仰、追可有左右之由〈云云〉。

   彼書云
   左衛門少尉源義經、乍恐申上候意趣者。
   被撰御代官其一、爲勅宣之御使、傾朝敵、顯累代弓箭之藝、雪會稽耻辱。
   可被抽賞之處、思外依虎口讒言、被黙止莫太之勲功、義經無犯而蒙咎、有功雖無誤、蒙御勘氣之間、空沈紅涙。
   倩案事意、良藥苦口、忠言逆耳、先言也。
   因茲、不被糺讒者實否、不被入鎌倉中之間、不能述素意、徒送數日。
   當于此時、永不奉拜恩顔、骨肉同胞之儀、既似空。
   宿運之極處歟、將又感先世之業因歟、悲哉。
   此條、故亡父尊靈、不再誕給者、誰人申披愚意之悲歎、何輩垂哀憐哉。
   事新申状、雖似述懐、義經、受身體髪膚於父母、不経幾時節、故頭殿御他界之間、成孤、被抱母之懐中。
   赴大和國宇多郡龍門之牧以來、一日片時不住安堵之思、雖存無甲斐之命、京都之経廻難治之間、令流行諸國、隠身於在々所々、爲栖邊土遠國、被服仕土民百姓等。
   然而幸慶忽純熟而爲平家一族追討、令上洛之手合、誅戮木曽義仲之後、爲責傾平氏。
   或時峨々巖石策駿馬、不顧爲敵亡命、或時漫々大海、凌風波之難、不痛沈身於海底、懸骸於鯨鯢之腮。
   加之爲甲冑於枕、爲弓箭於業、本意併奉休亡魂憤、欲遂年來宿望之外、無他事。
   剰義經、補任五位尉之条。
   當家之面目、希代之重職、何事加之哉。
   雖然今愁深歎切。
   自非佛神御助之外者。爭達愁訴、因茲以諸神諸社牛王寳印之裏、不插野心之旨、奉請驚日本國中大小神祇冥道、雖書進數通起請文、猶以無御宥免。
   我國神國也、神不可禀非禮、所憑非于他。
   偏仰貴殿廣大之御慈悲、伺便宜。
   令達高聞被廻秘計、被優無誤之旨預芳免者、及積善之餘慶於家門、永傳榮花於子孫、仍開年來之愁眉、得一期之安寧。
   不書盡愚詞、併令省略候畢。
   欲被垂賢察義經恐惶謹言
   元暦二年五月日
   左衛門少尉源義經
   進上 因幡前司殿

読み下し

源廷尉(義経)、思いの如く朝敵を平らげをはんぬ。剰え前の内府を相具し参上す。 その賞兼ねて疑わざるの処、日来不義の聞こえ有るに依って、忽ち御気色を蒙り、鎌倉中に入れられず。 腰越の駅に於いて徒に日を渉るの間、愁欝の余り、因幡の前司廣元に付き一通の歎状を奉る。 廣元これを被覧すと雖も、敢えて分明の仰せ無し。追って左右有るべきの由と。

彼の書に云く、

左衛門の少尉源義経恐れながら申し上げ候。 意趣は、御代官のその一に選ばれ、勅宣の御使として、朝敵を傾け累代の弓箭の芸を顕わし、会稽の恥辱を雪ぐ。 抽賞せらるべきの処、思いの外虎口の讒言に依って、莫大の勲功を黙止せらる。 義経無犯にて咎を蒙る。 功有りて誤り無きと雖も、御勘気を蒙るの間、空しく紅涙に沈む。 倩々事の意を案ずるに、以て良薬口に苦く、忠言耳に逆らう、先言なり。 茲に因って、讒者の実否を糺されず、鎌倉中に入れられざるの間、素意を述べるに能わず。 徒に数日を送る。 この時に当たり、永く恩顔を拝し奉らず、骨肉同胞の儀すでに空しきに似たり。 宿運の極まる処か。将又先世の業因を感ぜんか。悲しきかな。 この條、故亡父の尊霊再誕し給わずんば、誰人愚意の悲歎を申し披かん。何れの輩哀憐を垂れんや。 新申状を事とし、述懐に似たりと雖も、義経身体髪膚を父母に受け、幾時節を経ず、故頭殿御他界の間、孤児となり、母の懐中に抱かれ、大和の国宇多郡龍門の牧に赴くより以来、一日片時も安堵の思いに住せず。 甲斐無きの命ばかりを存ずると雖も、京都の経廻難治の間、諸国に流行せしむ。 身を在々所々に隠し、辺土遠国に栖まんと為し、土民百姓等に服仕せらる。 然れども幸慶忽ち純熟して、平家の一族追討の為、上洛せしむの手合いに、木曽義仲を誅戮するの後、平氏を責め傾けんが為、或時は峨々たる巖石に駿馬を策ち、敵の為亡命するを顧みず。 或時は漫々たる大海に風波の難を凌ぎ、身を海底に沈むを痛まず、骸を鯨鯢の鰓に懸く。 しかのみならず、甲冑を枕と為し、弓箭を業と為す。本意併しながら亡魂の憤りを休め奉り、年来の宿望を遂げんと欲するの外他事無し。 剰え義経五位の尉に補任するの條、当家の面目・希代の重職、何事かこれに如かずや。 然りと雖も今愁い深く歎き切なり。自ずと仏神の御助に非ざるの外は、爭か愁訴を達せん。 茲に因って、諸神諸社の午王宝印の裏を以て、全く野心を挿まざるの旨、日本国中大小の神祇冥道に請驚し奉り、数通の起請文を書き進すと雖も、猶以て御宥免無し。 その我が国は神国なり。神非礼を稟くべからず。憑む所他に非ず、偏に貴殿広大の慈悲を仰ぐ。 便宜を伺い高聞に達せしめ、秘計を廻らされ、誤り無きの旨を優ぜられ、芳免に預からば、積善の余慶を家門に及ぼし、永く栄花を子孫に伝えん。 仍って年来の愁眉を開き、一期の安寧を得ん。愚詞に書き尽せず、併しながら省略せしめ候いをはんぬ。 賢察を垂れられんと欲す。義経恐惶謹言。

元暦二年五月日

左衛門の少尉源義経

進上 因幡前司殿

現代語訳